底辺に生きる者こそホラー映画を見るべき
◆ 劣等感が強いと映画とかアニメとか見れなくなる
僕はまあ、劣等感の塊ですよね。
プライベート、仕事とも、他人に誇れるようなものがありません。
そうなると、映画とか見ていても、素直に楽しめない場面がたくさん出てきます。
弁護士だの公務員だの立派な職業
学者だのアーティストだの、やりがいのありそうな仕事
いっしょに遊んだり、苦しいときには助け合える仲間、友達
恋人や家族・・・
映画やドラマの主人公たちは、みんなこんなキラキラしたものを持っています。
「苦しい日常を送っている」「パッとしない人生」みたいな設定付きの人物であっても、堅実な仕事をしていたり、恋人がいたりというケースが多い。
そうなると、劣等感の強い僕は楽しめない。
うらやましい・・・
自分が情けない・・・
見ていてつらい・・・
こうなってしまいます。
アニメも昔は結構何でも見たような気がしますが、いまはいろいろダメなものがあります。
ハーレムアニメ → 視聴中に憤死する危険性あり
学園もの → 未来有望な若者たちの青春を見て鬱になる
フィクションの世界って、どうしても充実している人間、幸せな人間、理想的な世界を描こうとする傾向があります。
でも、正直、僕のような人間にとってはひどく息苦しい。
昔はこんなんじゃなく、素直な気持ちでなんでも楽しめていたはずなのに。
楽しめるものがどんどん少なくなっていく・・・
◆ 例外はホラー映画
しかし、ホラー映画だけは例外ですね。
ホラー映画というのは「日常を破壊」するものです。
例えばゾンビものの映画。
人間がどんどんゾンビという化物に変化し、それがまた人間を襲ってゾンビが増えていく。
家族がゾンビに。
友達がゾンビに。
ああ、自分も噛まれてしまった・・・。
こういう状況になれば、もはや劣等感なんて感じている余裕はない。
最悪な状況、死んだほうがマシな状況のはずなんですが、僕のような人間にとっては救いです。
あるいは、『SAW』のように、残忍な殺人鬼に狙われ、拷問されたりしたらどうでしょうか。
エリートだろうが、恋人や家族がいようが、金持ちだろうがもはやそんなものは無意味です。
画面のグロさ、ストーリーの悲惨さに目をそむけたくもなるが、それでもどこか安らぎを感じている自分がいる。
昔はホラー映画を見る意味が分かりませんでした。
恐怖=ストレスを感じているということ。
どうして金を払って、時間を割いてまで、ストレスを自ら求めるのか。
そんなふうに思っていました。
しかし今、アマプラでホラー映画を漁っている僕がいます。
自分を落伍者だと思い、劣等感に苦しまされている人間には、ホラー映画こそが救いなのかもしれません。